ダダ・シュールレアリスムを継承・発展して、戦後パリを中心に起こった最も過激で反体制的な前衛芸術運動。イジドール・イズーが理論的中心となり、1940年代に創始された。メンバーには終始その最も活動的で革新的な実践者であるモ―リス・ルメートルの他、ガブリエル・ポムラン、フランソワ・デュフレーヌ、ジル・ヴォルマン、ギー・ドゥボールなどがいる。創造性(クレアティク)を人間活動の第一原理として捉え、不断の創造によって社会の分裂を超克することを理念とする。文学的には、文章の解体を「文字(レットル)」という極限にまで押し進め、既成言語のあらゆる制約の破棄を目指す。また文学以外にも象形文字的な絵画やオブジェ・彫刻、意味不明な音声やノイズによる音響詩的音楽、また映像と音の関係を脱臼させたりスクラッチ・切り刻みなどをフィルムに施した実験映画、劇場自体を行為の場として開放的に呈示するハプニング的演劇など、多岐にわたるジャンルの作品が制作された。またレトリスムは単なる芸術運動にとどまらず、創造の原理に基づいた「若き人々」の活動によって社会を変革するという経済・政治的な運動でもある。50年代末、レトリスムは思想・政治的な方向性の違いから分裂し、ドゥボールらによるレトリスト・インターナショナル(後にインターナショナル・シチュアシオニスト)などいくつかの分派が形成される。レトリストの思想は直接・間接的に68年の五月革命など革命的運動のバックボーンとして大きな役割を果たした他、その芸術は20世紀後半の様々な前衛運動に多大な影響を与え、現代においてもなお様々な分野で再発見/継承されつつある。
 

 

レトリスム思想・芸術の最も偉大でラディカルな体現者でありアジテーター。1926年パリに生まれる。第二次大戦中レジスタンス運動に参加した後、ソルボンヌ大学哲学科に身を置き、アナキスト新聞「ル・モンド・リベルテール」の編集者となる。50年イジドール・イズーと出会い、レトリスム運動に参加、雑誌「若き人々の戦線」や「ウル」を創刊。それ以来一貫してレトリスムの可能性を探求し続け、詩、小説、演劇、絵画、写真、映画、ダンス、さらには経済学、哲学等にいたる、広汎な作品制作、著作、企画や出版などを行なう。前衛映画の古典的傑作である処女作の『映画はもう始まったか』(1951)以来、膨大な数にのぼる映画を制作。破壊的な処理・編集による前衛的表現、メディアの自己言及を利用した批評、哲学・政治的なアジテーションなどが統合されたその先駆的な手法は「統合的映画」と呼ばれ、ヌーベル・ヴァーグやアメリカン・アンダーグラウンド映画など様々な映画芸術に多大な影響を及ぼす。またテキストと象形文字的文様を多用し、文学と美術の統合を試みたその美術作品は「ハイパーグラフィー」と呼ばれる。現在まで創作力は衰えず、多岐にわたるその膨大な仕事を紹介し研究することは、今世紀に生きる者たちの大きな課題であると言えよう。
 
 

レトリスムの創始者にして理論的中心人物。本名イジドール・ゴールドスタイン。1925年ルーマニア・ボトサニに生まれる。神童的な少年時代にあらゆる書物を読破し、17歳で人生の意味と文化の統一的理論を発見、『新しい詩と新しい音楽への序論』として執筆(47年出版)。45年戦後のパリに出て、イジドール・イズーと改名。パリで出会ったガブリエル・ポムランとともにレトリスムを創始、46年トリスタン・ツァラの演劇の会場での騒乱、文芸批評誌「レトリスム独裁」の刊行など、数々のスキャンダラスな活動を行う。50年『若き人々の蜂起』を著し、それに共鳴したモ―リス・ルメートルと出会い、レトリスム運動を現在まで続ける。51年最初のレトリスム映画『涎と永遠についての概論』を制作、ジャン・コクトーに絶賛され、カンヌ映画祭でアヴァンギャルド観客賞を受賞、またそれを見たギー・ドゥボールがレトリストに加入。イズーの創作活動は詩、絵画、映画、芸術論、政治論など文化全般に及ぶが、その芸術、思想および活動の紹介は日本では未だほとんどなされていない。